カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
某所で環境と土器型式の差異における関連性を指摘しつつ、「やっぱりそれはありえねぇな」といった感じの文章を見かけた。某ひよこの人のブログにて。さてさて、どうだろう、僕はあると思うんだが。ちなみに元ネタはこちらのブログさん。
例えば中期中葉の東日本、勝坂式と阿玉台式。器種組成に明らかな違いがあると思うんだが、どうでしょう。海の文化と山の文化、なんて言葉で表現すると大雑把にイメージは掴みやすい、、、ですかねぇ?(※)自分の中では勝坂式は動物把手や人面把手なんかが発達していて豊富な森の資源を利用して生きていた人々。だから木の実などの貯蔵に適した円筒型、というか安定しそうな形の深鉢が一定の比重をしめていてそこに煮炊きに使う口縁に向って外反する深鉢がからんでくるイメージ。んでもって阿玉台式はやっぱり海産物が主体。なんで胴部が膨らみ底部が狭く口縁が立ち上がる形の深鉢がメインのイメージ。 なのでラフスケッチだと阿玉台の人は外でぐつぐつ土器で海産物を煮込んでる。もちろん集落には貝塚が形成されたりして、そばには川なり海なりがあってそこから帰ってくる人もいて。勝坂の人は土器は家の中で使うイメージ。竪穴の隅に貯蔵用の土器を並べて立てておいたり、梁から土器を吊るしてとろとろ煮込んでるイメージ。絵が描けたらいいのになぁ。馬場小室山や歴博シンポジウムの絵描きさんが羨ましい。絵が描けたら、もう少し生き生きとした縄文時代像を自分の頭の中にイメージとして持てるのかなぁと思う。あぁ、羨ましい。ちょっと江見を読みすぎてる気もする。軌道修正軌道修正。 ※阿玉台式文化圏=海の文化圏とは到底言えませんけどね。三原田や長峯の例がありますし。 けどまぁ極端な話ですが、遺物や遺構からではどうしてもわからない情報というのもあると思います。それは、長い年月でゆっくりと失われていったものであってどうしても取り返せないモノでもあるのでしょう。そういった所を埋め合わせるのに、学問では事実の積み重ねなどを用いて娯楽ではイマジネーション、この区別さえしっかりしていればとりあえず勘違いすることはないだろう。今日の日記は、イマジネーション。イマジネーションだけれども、食生活と土器ってのはわりかし密接な関係にあると思っていますし、そう考えると器種組成なんかは特に食生活を大きく規制する自然環境にも関係があるのではないかなぁと、思うのです。
by sophical-arc
| 2006-04-11 02:07
| 縄文時代
|
ファン申請 |
||