カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
江見水蔭の『地中の秘密』を探しています。大学の地下書庫明治時代文献コーナーにあるみたいなのですが、どうもこのコーナーは読んで字の如く"明治時代に発刊された文献"を置いてあるコーナーらしく、学生が自由に借りたりコピーできるものではなく申請がいるようでとりあえず保留。『三千年前』と『太古遺跡発見法』と『太古遺跡探検法』をコピーしてきました。
余談ですがうちの大学は妙に図書館が充実しているので慣れないうちは地下書庫内で出口の階段がわからなくなって大慌てしたことも... で、今日の本題は『三千年前』について。これは副題に考古小説とあり文中にも江見の回想として「俺は学者では無い。文士だ。科学の研究には疎いけれども、小説を作るのは家業である。感應した事を書いて発表する分には差支は無い。いや全然其は空想では無い、或る程度迄は科学上の説明のできる、然うして残りの或程度たりとも、今に説明の出来そうな事を大胆に発表し得るのは、文士の徳である。学者としては躊躇する事も、其所は文士の有難さで、人は大目に見て呉れるだろう。石器時代の科学的小説を書くのには最も俺は適して居る。」とあるようにお世辞にも学説としてどうのこうの、というレベルではない。しかし、あくまで当時のではあるが、石器時代研究における基礎は下敷きにしており、なかなか面白いできとなっている。 こうしたものを批判することはたやすいが、ここまで生き生きと石器時代人の生活を描写できるというのも江見の文才の現われであろう。遮光器土偶をインドの女神と結びつけるような荒唐無稽の一般書(しかも考古学コーナーに並んでいる)等と比べたらはるかに学説にのっとって書かれていて面白い。坪井と小金井のコロボックル・アイヌをめぐる人種論が石器時代・石器時代土器研究において主流にあった明治初頭に書かれたこの小説は大和民族に北へ追いやられるコロボックル民族を主体として描いており、当時の考古学界の人にはなるほどと膝をうつことの多い小説であったであろうことが容易に想像できる。 旧石器捏造なんてこともあって考古学の道を志す学生は大幅に減ったなんて言われているけれど、それでもやはりまだまだたくさん考古学をしてる人はたくさんいて、そうなればもちろん各個が目指してる考古学を通してしたいこと、目標といったことは多々あるとは思います。僕は、江見のように生活臭ただよう過去の人間を描けるような考古学の人になれたらいいなぁと思って勉強しています。最も、小説家になる気はさらさらありませんが。
by sophical-arc
| 2006-04-09 01:04
| 学史
|
ファン申請 |
||