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現場の桜は最期の花を咲かせ、散りつつあります。完全に散ってしまう頃には新しい調査区に手をつける頃なので切られてしまう運命にあり、普段ならば美しいと圧倒される満開の桜にも一抹の寂しさや痛々しさを覚えています。
さて、春の嵐のようにWeb上に吹き荒れた第二考古学をめぐる論争もほぼ終結を迎えたようであります。伊皿木氏が自己の方向性を述べ、対する位置に足場を置いていた岡安氏が停戦ラインを引いている。今回の論争で非常に面白い、かつ新鮮さを感じたことはWeb上の論争であるにもかかわらず、当事者のみならず広汎に渡って建設的な意見表明がなされたことである。論争、というには意見の応酬が今一かみあってないのかな、と思える一幕もあったがそれはWeb世界という特質上致し方ないこと、むしろ仮想世界にありつつもよくもここまで議論が行われたものだなぁと多くのBloggerさん達の記事を読みながら嘆息に浸っていた。佐藤氏やStone Seeker氏、gocito02氏などがそれぞれ第二考古学をめぐる一連の動きや批評を述べていて、そういったWeb上の考古学界を大きく巻き込んだという点を見るとその果たした"役割"は大きいんじゃないかと思う。 岡安氏やgocito氏、佐藤氏といったBlogger諸兄からありがたくトラックバックやコメントなど頂いたので不勉強ではあるがいくつか気になってみた点などを述べてみたい。まず第一に思ったことは岡安氏が「宣言考古学」と表現したように内容の充実を待たずして見切り発進のように設定される概念が多いという事。これは今回の第二考古学に限られることではなく、実態のはっきりしない土器型式・細分のように個々の研究にも見られることであるがまず"宣言"ありきでは研究者間の共通理解を醸成することは難しく、独善的な研究に陥りやすいのではないかと何とない危惧を抱いた。自分がこれから卒論で対象にしようと考えている土器群が型式設定できるか否かの検討段階にあるため、なおさらにそれは強く感じた。 また、第二考古学と第一考古学という線引きについて考えるうちにその集合である"考古学"という概念についても考えることが多かった。「考古學は過去人類の物質遺物(に據り人類の過去)を研究するの學なり」という文章はあまりにも有名であるが、借り物の学問とも表現される考古学という学問にどれだけ明確な枠が作れるのだろうか。過去に僕は層位学や分類学などを基盤とした伝統的な(線引きは難しいけど)考古学を"方法としての考古学"として、また民族学や理化学など近年積極的にとりいれられつつあるものを含め様々な方法論が目指す方向性として史料から過去を目指す"概念としての考古学"などと表現している。けれどこれにも色々な問題があって、そもそも伝統的な考古学って何かという話やらそもそも考古学だけで完結する方法論があるのかどうかとか色々穴はあるけれども。むしろ岡安氏の言うようにコア・拡張の関係で考えた方が理解はしやすいと思う。けれどもここにもまた第n考古学のような線引きの問題がからんでくるわけであって、考古学という学問体系そのものがまだ未成熟なのかなぁなども思ったりします。未成熟がつまり成長の余地、楽しさとも言い換えられることかもしれないけれども。 ここからは今回の論争とはまるで関係なく、自分の考古学の概念の捉え方の一つであるが、学問のあるべき姿は一つは学問の深化、つまり縦方向への発展。もう一つは広開とでも言うべきでしょうか、横方向への発展も大事だと思うのです。そのベクトルの対象は学生のように研究者を目指したり考古学の道を志す者はもちろんこと、生涯学習の一つの形態としての歴史学・地域学の一環としての考古学のありかたも大事だと思うのです。それは、方法論的定義とはまた違う概念による定義になり上の第二考古学にまつわる話とはまた別の話になり、、自分でもうまく表現できないのですが、遺跡保存運動が比較的さかんな昨今のこと。あえて「どうして遺跡を保存しなきゃいけないのか」という反語的問いかけに対しても建設的な議論ができる人がどれだけいるのだろうかと疑問に思うのです。少なくとも、保存ありきの運動(埼玉の某盛土遺構とか)を見ていると「少し、違うかな」という風に靴の中に砂の入ったような違和感を感じるのです。なぜ保存するのかという点について根幹から問い直したいと思うし、考古学徒という遺跡の破壊からいくばくかの情報を得ている立場にある自分は、自分の中で常に考えていたいと思うのです。時には「なぜ発掘するのか」と裏表の質問に変わるときもあるのでしょうが、うん、もちろんそれを考えていれば遺跡を破壊することが許されるということではない。それとこれとはおそらく関係のない話なのでしょう。 どうもここまで自分の考えを追いかけてみると、未成熟な考え、不満足な自分、何に対しても理由を求めすぎているなど正直無駄が多い気がします。Sturm und Drangの20歳だからでしょうか...
by sophical-arc
| 2006-03-29 22:52
| 雑多
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