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「第二章 研究と報告 第一節 研究の方法」『日本石器時代提要』/岡書院
遺物の聚成が相當の量に行はれて、これらなばその推移の傾向をも論ぜられると云ふ自信にまでこぎつけたとする。先づこれ等の遺物は過去の考古學の経験に依て一應形式(form)別がされる。形式(form)とは、厳密に云へば生物學の種(Species)の如く、如何に両者の変化を追つて行つても、どこか形の連絡しない所があると云ふものでなければならぬ 一形式が選び出されて、それが次第に型式(type)を分けられて行く時、何を分類の標準に置くかと云ふ事は、結局私は一つの主観的問題だと思ふ。 分類は結局主観の問題と云った。果たして然らば、この主観を導くには自づと一つの學の立場が決定さるべきである。それを私は観察という二字で置き替へる。客観的な型(pattern)の観察である。型は遺物それ自身が相當複雑な文化現象であっても、そのままの一固體を一つの型としても認容出来るし、一々その要素(element)をほぐしても、各々の型の集合として見る事が出来るであらう。型を組み立てる要素と云ふ問題を後に廻して、遺物各々の個體に現はれた稍々アイデアルなものを一つの型として考へるならば、比較の方法で、これに最も接近した他の型を選択する事が出来る。この似寄りの型が一つの群(group)を構成する。数個数十個が一群を形成したものとすると、群は群としての一つの型を持つ。この群の持つ型は又互に他の群との近づきを作り、ここに一つの様式(style)が決定される機縁となる。様式はそれ自身特質的である。群に反映された個體の型は、様式に総示されてここに代表された一普遍的型となる。而して如何なる範圍を以て一様式とするかと云ふ事は、型式(type)と共に多分一文化環境を考慮に入れる必要を生むであらう。一形式(form)にあっては、むしろ日本を一つの単位とした場合、地方的文化環境を考慮の外に置いている、然し様式(style)型式(type)にこれがあるであらうと云ふ所以のものは、問題が既にそこまで分化して来た事を示している。
by sophical-arc
| 2006-04-18 01:35
| 型式メモ
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